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「きっかけは、『孫の顔が見たい』という母の言葉でした」。それは、大手広告代理店に女性の総合職第一期入社として就職し、メディア・プランナーとしてキャリアの道を歩んでいた岩佐文恵さんが、料理研究家になろうと決めた人生のターニングポイントだった。
「母は自分の人生を私と弟を育てるために捧げてくれました。その母に恩返しをしたいという思いもあり、自分の将来を見直したんです。広告の仕事は確かにやりがいのある楽しいものでした。当時はまだ結婚をしていませんでしたが、子どもを産んでからも今と同じようには働けないことは分かっていました。そこで、一生続けられる仕事は何かと考え、小さいころから大好きだった料理の道を究めようと思ったのです」
岩佐さんは美食家揃いの家庭に育った。小さいころから、家でも外でもおいしい料理を食べ歩いてきた。幼稚園から小学校6年生まで父親の転勤についていったパリとロンドンでも、その土地でしか食べられない料理の味に幼くして出会ったという経験を持つ。徹夜や休日出勤も常識だった代理店時代にも、お休みの日に学校へ通
うほど料理への興味は深かった。
「家では朝から夜まで食の話でもちきりでしたね(笑)。祖母は懐石もつくれるほどの腕前。母は雑だけれどもクリエイティブなタイプ。外で食べたおいしい料理を見よう見まねでつくってくれました。その影響はかなり大きかったと思います」
外食でも家庭の料理でも決して味の妥協はしない。おいしさだけでなく食べる楽しさも、とことん追求する祖母と母の精神は、自ずと岩佐さんにも受け継がれていった。
仕事を辞めて「ル・コルドン・ブルー」に通い、その後単身パリへ。「ラ・ヴァレンヌ」で料理やお菓子の腕を磨き、ディプロムを取得。帰国後は、大里成子中華料理教室、草月流いけばな、ワイン・セミナーなど、料理の幅を広げるとともに、食にまつわることへと勉強の対象を広げていった。そんななか、仲間のひとりが岩佐さんに新聞の連載コーナーの話を持ちかけた。連載終了後、読者の方からの問い合わせや依頼が多く寄せられ、『もっと料理を教えてほしい』という声に応えるかたちで1998年から料理教室をスタート。
「教室をはじめたとき、息子はまだ2歳でした。母には孫の顔を見せるとこができてうれしかったですね。ただ仕事をするにあたっては、月3クラス、だいたい週に1回ほど午前中に押していましたが、一時預かりをしている保育施設を探して預けたり、ベビーシッターさんにお願いしたりしていました」
その息子さんは今、小学2年生。春からは3年生になる。彼は料理もつくれるし、テーブルセッティングもできるという。
「これまで、手伝えるときは、たとえ足手まといになってもあえて手伝わせてきました。インフルエンザが流行して学校閉鎖になったときは、皿洗いの手伝いをさせたこともあります。息子はちょっと不機嫌そうでしたけどね(笑)」
それも、ご主人と別れた後、岩佐さんはひとりで父親・母親の二役をこなしていることもあり、「オヤジではなく、母親の背中を見て育って!」という強くあたたかい思いがあるから。
「息子には、自分の責任で自分の生き方を見つけてほしいと思ってるんです。だから、ある程度成長したら背中をポンと押して、世の中で出しちゃおうって(笑)。そして、息子には私の姿をきちんと見ていてほしい、息子が“よし”と認めてくれる生き方をしていきたいと思っています」
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