「幸せにしてくれる人に出会って結婚」を夢見ていた20代。短大卒業後、中山さんは日産・ミスフェアレディの経験を生かしフリーアナウンサーの道へ。バブルの時代だったこともあり、イベントの司会やラジオのパーソナリティなど仕事は順調だったそうです。ところが20代後半でバブルがはじけ仕事は激減。「“女子アナ30歳定年説”とも言われていた時代で、もう若さでは勝負が出来ないと。それで不安を解消するためにも結婚して安定した暮らしを手に入れようと、お見合いをしたんです。」
29歳の頃は毎週末になるとピンクのスーツを着てお見合いをしていたそうです。「20回近くした時『この人なら』と思える人に出会えたんですが、彼の上司の『今後は彼の手となり足となり生きていってください。』の一言で、私は誰かの手となり足となる人生ではなく、自分の足で自分の人生を歩くことを望んでいることに改めて気づいたんです。」中山さんは結局、この話を破談にしました。そして30歳の誕生日は一人で迎えることに。
29歳から30歳が人生のターニングポイントだった中山さんは、「自分が30歳を迎えるときに揺れた経験から、他の人たちはどうなのか率直に聞いてみたいなと思った」そうです。そして同世代のシングル女性たちに取材を始めました。それをもとに『シングル体質の女たち』(光文社)を出版。中山さんのルポライターとしてのデビュー作となりました。「文章を書く技術が身についたのは、趣味で書いた原稿を出版社に持ち込んだ時、ある女性編集者と出会い、彼女に徹底的に基礎を叩き込んでもらったおかげです。この出会いは、自分の中で真剣にものを書いていこうと覚悟ができたきっかけにもなりました。」
仕事が順調に進む中、30代後半で第2のターニングポイントを迎えることに。「当時、付き合っていた男性との間に子どもが出来たんです。38歳の時でした。彼は独身でしたが、結婚という形をとれない事情を抱えていて。でも、結婚できないからと子供をあきらめれば、この先の人生で苦い後悔を残す。そう思い、一人で産んで育てる決心をしました。」そして39歳でシングルマザーに。彼は父親として定期的にお子さんに会っているそうです。
妊娠中から“女手一つで育てなくては”という意識を強く持っていた中山さんは、がむしゃらに仕事をしていたそうです。「出産前日まで仕事をして、産後も2週間後には締め切りがある状態で。休む間もなくずっと突っ走ってきました。がんばらなきゃという一心で。」
そんな中ひとつの出来事が中山さんの気持ちを変えました。 お子さんが保育園に行っている9時から5時までは仕事。家に戻ってから寝付くまでが子どもとの時間。その後また深夜まで仕事、という土日もないスケジュールでした。お子さんが2、3歳のある日。「その日も締め切り抱えていて、娘を寝かしつけてから仕事をしなくてはと焦っていたんです。でも、私の殺気立った雰囲気が娘に伝わったんでしょうね。こういう時に限ってなかなか寝てくれなくて・・・。イライラの限界に達した私は、真っ暗な部屋に娘を残して『もう知らない!』と仕事部屋に戻ってしまったんです。しばらくして気がついたら後ろにポツンと娘が立っていて。娘は自分を置き去りにした私を責めるどころか『ママ・・・ごめんね』と。その姿を見て目が覚めましたね。ごめんねはママのほうだと。私は子育てと仕事を両立しているつもりでいたけど、私自身が精神的に余裕を失っていては子どもが安らげない。これでは母親として失格だと反省しました。何より、仕事に追われる毎日の中で、私自身が幸せを感じる心を失っていた。私が幸せでなければ、子どもを幸せにすることはできないと。」
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