両親、園長先生、先輩ママたち
多くの人に助けられて今がある
「両親は早すぎる結婚に心配もあり、二人をなかなか認めてくれませんでした。最終的には『勘当』という形になってしまい、娘が生まれてもしばらくは会ってもらえませんでしたが、きっと辛かったと思います」
けれど、離婚という事態になると、両親はやさしく手をさしのべてくれた。勤めていた大学病院は辞めていたので、一時は両親の元に戻ろうかとも考えた。
「でも、どうしても“美容医療”がやりたかった。それにはやっぱり東京がいちばん。だから、苦労を承知で娘とふたりで暮らしていくことに決めました」
知人のツテで都内の美容外科に職を得たが、子どもを預ける保育園が見つからない。年度末という時期が災いしてか公立はすべて断られ、どうしようと困っていたところ、幼児教室の先生から私立の小さな保育園を紹介してもらった。
「そこの園長先生がとてもやさしい方で…。『明日は卒園児のためのカレーパーティーをするから、ママリちゃんもいらっしゃいね』って。出向いた翌日からすぐに登園させてもらったんです」
離婚してまもなく、新しい環境に馴染むまでの怒濤の日々、いろんな人に助けてもらった。毎月のように京都から両親が通ってくれたのをはじめ、園長先生、保育園や幼児教室で出会った先輩ママたち、職場の仲間…。やさしさが身にしみた。
「あの頃はとにかく無我夢中! どんなふうに毎日を過ごしていたのか思い出せないほど。でも、なんとか乗り越えられて今があるのは、いろんな人に助けてもらったおかげです」
子どもは生きる原動力!
自分が選んだ道を後悔しない
もしも自分ひとりだったら、こんなにも頑張れなかったかもしれない。
子どもがいたからこそ、離婚後のつらい時期も耐えられたし、やりたい仕事にも向かっていけた。子どもは原動力! エリーさんはそう断言する。
「自分の体から生まれ、その体でつくられた母乳を飲んで大きくなる。それってすごいことだと思いませんか? 子どもを産んだことで、大げさでなく、人生観が変わりましたね」
それまでの自分は“世間知らず” だった、とエリーさんはいう。両親の元で大切に育てられ、学生時代も同じような環境に暮らす友人たちと過ごし、不自由のないぬくぬくとした日々。それがまったく違う環境に生きる男性と出会ったことでエリーさんの人生は一転。結婚し、子を産み、そして離婚。
「“知らない”からこそできたこと。自分は甘かったと思う。でも、後悔はしていません」
なぜなら、ママリちゃんというかけがえのない子どもを授かったから。だからこそ、娘には幸せになってもらいたいと願う。何かを与えるよりも、彼女がやりたいことを応援し、できる限り邪魔をせず、あたたかく見守っていきたい。
「休日は娘に大サービスしますよ(笑)。普段の日は淋しい思いをさせているから。一緒にカラオケに行けば、娘が歌いたい曲を入れ、タンバリンで盛り上げる!(笑)」
念願の美容外科の仕事に就き、2年前からはアンジェクリニックの院長を引き継いで、順調にキャリアも積むエリーさん。娘も成長し、女同士の会話も少しずつ楽しめるようになってきた。仕事も家庭も、エリーさんにとって今がようやく充実の時もしれない。
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