
一人目の出産の時は、「モノを作りたい!」という想いで入社したエプロン会社に勤め始めたばかりの頃。上司の理解もあってそのまま仕事を続けることに…。「出産前日まで働いていたんですよ。もっとびっくりしたのが、出産後入院している病院まで仕事を持ち込まれたときかしら。1週間で復帰もしました。」子育ての環境は良かったとおっしゃる紗千子さん。「私の母が近くにいたので、仕事復帰後はほとんどお願いしていました。」
32歳で「潟Vュガーマトリックス」を立ち上げた後、36歳で二人目の泰兵さんを出産。それまで紗千子さんは休まず働いてこられたそうです。「泰兵を出産した頃は、会社を立ち上げて4年目。お兄ちゃんは10歳になって、精神的にもだんだん難しくなってくる年頃だったので悩みも多く、一番大変な時期だったかもしれませんね。中学に入ってイジメに遭った時も、一緒に悩み、考えました。私は自分の中で、優先順位としていつも子どものことを一番に考えていました。お兄ちゃんにアドバイスしたのは『何でもいいから一番になってごらん』でした。それから一生懸命勉強をして、学年で一番の成績を取ったんです。それから本人も自信が持てるようになり、周りのお友達も『こいつは意外とスゴイんだ』と見方が変わり、イジメもなくなったんです。」

“仕事と子育ての両立”とても難しそうに思えますが、紗千子さんのとってはそれほど重荷には感じていなかったとか。「あまり仕事をしているから子育てが大変!と思ったことはありませんでしたね。子どもがしっかりしていましたので、自分の力で育っていってくれたところもあります。子どもたちの『ありがとう』の言葉を聞くと、疲れも吹き飛びました。子どもたちの笑顔に支えられました。私が子どもたちに育てられたようです(笑)」

「泰兵は小学校の頃から、お手伝いさんに見てもらうことが多かったので、寂しい思いをさせてしまったかなとは思っています。小学校5年生くらいまでは一緒に寝てましたよ。スキンシップをしてくれることが私も嬉しかったですね。6年生になると少し反抗期が出たのか、“かまってくれるな”みたいな雰囲気を出し始めたんです。寂しかったですけど、これも成長のひとつの喜びかなと思いました。」
そしてさらに子育てを振り返っていただきました。「お兄ちゃんは言わなくても自分で勉強を進めていった子だったんですけど、泰兵は全く違ってなかなかしてくれなくて…。2人とも自分の進路については、自分の意思で自由にさせていました。ただ、大学進学の時に浪人はしないで欲しいと言いましたね。学校が全てではないですし、どんな学校に入っても、そこで一生懸命学んで、人間性を磨いて欲しいと思いました。」
現在、泰兵さんは、父親の会社『潟hヴァ』(生地の会社)で修行中だそうです。
「私は必ず子どもを守るというスタンスでいます。見守っていますが、べったりそばについているわけではありません。朝起きて『おはよう』と声を掛けた時の子どものふとした瞬間やすれ違った時の雰囲気などを読み取ったりするのです。なにげない行動からSOSを発生していると思います。それを逃さないようにするのが親の役目。その子を感じてあげることが大事だと思っています。時間をかけて向き合う時と、さらっと流す時とメリハリをつけながら親子のバランスを保っています。」
最後に…
「人生のゴールはまだまだ遠くにあるので、これからも私は走り続けます。自分の人生ですから自分自身も楽しまなくては。そうすれば子どもの人生も自分の人生も充実するのではないでしょうか。」
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